今朝の地元新聞にて
一面に、「上毛かるた」の記事が掲載されていました。
内容は、
「現在の県民のうち
上毛かるたを暗唱できるのは5割」
というもので
山本知事が、
「衝撃的」とコメントしていました。
自分も同感です。
他県の人は
「ナニが衝撃的なのか?」
よくわからないかもしれませんが
われわれ世代の群馬県民にとっては
「半分」というのは
「あまりにも認知度が低くて衝撃的」
ということなのです。
自分は、還暦を過ぎましたが
「あ」から「わ」まで
完璧に覚えています。
子どもたちが小学生時代に
学校行事の「かるた大会」
に参加していたので
(注:群馬県のかるた大会は
子どもの場合「上毛かるた」です)
そのときに、記憶をリセットしたからです。
「ち」札の
「ちからあわせる(県の人口)万」が
時代によって数値が変化したり
「や」札の
「やばけいしのぐあがつまきょう」について
いろいろ議論が紛糾した結果
「八ッ場ダム」が完成したので
「耶馬渓」そのものが変化した
とか
時代の変化によって、
内容がピンと来ない札もありますが
自分は、「上毛かるた」について
完成度が高いうえに
郷土の知識を覚えることができるので
素晴らしい知的財産だと思っています。
われわれの世代が
「上毛かるた」となじみが深いのは
小学校時代に「かるた大会」があって
そのステイタスが高かったからだと思います。
冬休みあけに、町内対抗の校内大会があり
そこで優勝したチーム(団体戦と個人戦)は
学校代表として、市の大会に出場しました。
さらにそこで優勝すると
高崎市の代表として、県の大会に出場しました。
↓
「上毛かるた」は、かるたマニアなどの例外を除き
群馬県でしかやっていないので
県大会で優勝することは、言い換えると
「競技における同年代世界トップ」
ともいえると思います。
そのため、市の大会前には
全校生徒による「壮行会」がありました。
自分が低学年のとき
学校代表の団体チームが
県大会で優勝して
校内が、大騒ぎになったのを記憶しています。
当時は、イベントや娯楽が少なかったからか
「かるた大会」対する意識が高く
かなりの熱量にて、町内で練習しました。
三年生になったら、本人の意志は関係なく
いわば、半強制的に、町内の練習に参加していました。
つまり、自然と身につく体制だったのです。
自分の町内は弱小だったので
校内大会で負けるのは、嫌でしたが
町内練習に参加するのは、苦痛ではありませんでした。
それどころか、六年生の時は
町内の友人と、
「午後の部(決勝トーナメント)に残ろう」と決意して
自主練習までしたくらいでした。
子どもの代になって
校内大会を見学に行ったら
自分が現役時代と比べて
ずいぶん熱気が下がったなと感じました
子どもの数が減ったことに加えて
参加は各人の意志次第ということで
「やりたい人だけやる」
という体制に変わっていたようでした。
昨今は、「価値観の多様化」の時代であり
強制すると「ハラスメントになる」時代でもあります。
しかし、自分にとっては
「上毛かるた」を、
子ども時代にマスターしないことは
群馬県に生まれたのに損をしている
=マイナスである
と感じるのであります。
だとしたら、「必要なこと」
「いずれ価値が理解できること」は
人生の先輩である大人が
自信と信念をもって
教えるべき時に、しっかりと
子どもに指導すべきではないのでしょうか?
これは
「挨拶」「礼儀」「マナー」「エチケット」
なども同様だと思うのです
「上毛かるた」の記事を読んでいて
そんなことを感じました。