日本で最初の富岡製糸

富岡製糸場が、世界遺産に登録されました。

富岡製糸場は、「上毛かるた」では
“に”の札なので
もちろん、群馬県人なら、全員知っています。

自分の家のお寺とお墓は、富岡市にあり
お寺は、富岡製糸場の道向かい。
お墓は、富岡製糸場から歩いて3分です。

お墓参りに行ったついでに
いつか、子どもたちを連れて行ってみようと思っていたら
いつのまにか、
二人の息子は、大学生と高校生になってしまい
(すでに、行動をともにせず。)
また、現在の富岡製糸場は、
お客様でたいへん混雑しているということなので
すっかり、行く機会を逸してしまいました。

つくづく、なにごとも、
思いついたときに実行しなくてはダメなのだなと
痛感させられました。

あくまで、聞いた話ではありますが
富岡製糸場が、世界遺産に登録された意味は
いくつかあるようです。

富岡製糸場は、日本で最初の近代官営工場ですが
保存状態が良好で
資料として、とても重要であるとのことです。

ということに加えて、

①世界のシルクの価格を変えた

本来、シルクは高価な素材でしたが
富岡製糸場を中心に、
日本の生糸が輸出されるようになって
世界のシルクの単価が、
大幅にリーズナブルになったそうです。

②日本を輸出国にした

日本の安くて高品質な生糸は
世界流通の80%を占めるほどであり
外貨を稼いで、日本の発展に貢献したそうです。

③日本の工業化の基礎となった

富岡製糸場で働いていた女性は
全国の武士や、名家のお嬢様だったようです。
その人たちが、技術を習得して、
全国各地に持ち帰り創業したのが
後に大企業となる基になったようです。
紡績メーカーでは、カネボウや東洋紡。
また、富岡製糸場の機械関連を提供したのが
プリンス(現在のニッサン)。
富岡製糸場の生糸を織るメーカーとして発展したのが
現在の豊田自動織機(トヨタ自動車の基)
などなどだそうです。

つまり、富岡製糸場とは
近代的な工場としての資料的価値に加えて
明治時代から現代の日本へ移行する過程で
ものづくりで、世界トップの技術大国になっていく
基礎となった存在ということのようです。

そんな富岡製糸場でも
最初、施設を保存するために立ち上がったメンバーは
10人ちょっとだったそうです。

こういう皆さんがいたから、今日があるわけなので
長年のご努力には、ほんとうに頭が下がる思いがします。

近くに、世界遺産が存在して
世界各国から人が集まり、活性化するということは
たいへんありがたいことだと思います。

高崎から、群馬県西エリアは
最近、いろいろとフォローの風がふいて
活氣が出てきましたので
そこで生活する自分も
負けずに、元氣でいなくてはいけないなと感じます。

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